〜みどりのいた空、誰かがいた森〜
第3章
3月の中頃、徐々につぼみをつけ始めた桜の木の下、久しぶりに僕は故郷の駅に来ていた。
4年の間に、駅は開発を進めて少し近代的な雰囲気を出している。駅前の通りを歩く人々も4年前よりずいぶんと増えた気もするが、駅前にあまり縁のなかった僕には本当のところはよくわからない。
久しぶりにやってきた駅へのあいさつもそこそこに、僕は森に向かって歩き出した。
今日で、みどりと約束したあの日からちょうど4年。4年間もあれば人は変わる。今ここにいる僕はきっとあのころの僕じゃない。でも、みどりを大切に思う気持ちだけは、あのころと全く変わっていないはずだ。
15分ほど歩くと、森の入口が見えてきた。森は4年前と変わらず、太陽の光を受けて緑色にキラキラと光り、僕との再会を歓迎してくれている。
中に足を踏み入れると、4年前とのちょっとした変化に気づく。若干だけ森の面積が小さくなったように感じるし、どこか4年前よりも荒れている気がする。
ざわざわと風が吹き抜ける。その音はどこか心地よく、聞いているとまるで4年前に戻ったような気分にさせられる。僕を包み込む、この森の優しさは4年前となにも変わらないままだ。
「みどり……会いに、来たよ」
4年前まで、僕らがいつも遊んだ思い出の場所。僕はようやくそこに辿り着いた。当然ながら、みどりの姿はない。
木の葉の隙間をかいくぐって降り注ぐ、木漏れ日がまぶしくて思わず目を閉じる。そんなささやかな温もりに、少しだけみどりの優しさを感じて、目の前にみどりがいる様な気になった。
ほんのわずかな期待を抱きながら、恐る恐る眼を開ける。だけど、目の前の景色は変わらない。やっぱり、みどりはそこにいない。
「いない、か……」
瞬きをする間に、目の前にみどりが現れるなんてまるで手品だ。僕はなにを期待しているんだと、可笑しくてつい笑ってしまう。
「ねえ、みどり。きみは、今どこでなにをしているの?
教えてほしい。元気でいるのか、なんで突然いなくなってしまったのか……」
僕のつぶやきは風に流されて、かき消されていく。すると、まるで返事をするかのように、今までで一番強い風が吹いた。
風は木の葉を揺らすだけでなく、葉の根を折って空に舞わせた。辺り一面に新緑が舞い、まるで春に降る雪のようだった。
目の前に一枚の葉が降り注ぎ、僕はそれを両手ですくい取るように受け止めた。
その瞬間、何かが頭の中に伝わってきた。みどりの声、温もり、優しさ、そんなものが一枚の木の葉から伝わってくる。
てのひらの上にあった木の葉は、再び風に運ばれ飛んでいく。ゆらゆらと静かに揺れながら、ゆるやかに飛んでいく。
木の葉が辿り着いた先は、一本の大きな切り株。4年前までは、たくさんの葉をつけた巨木で、みどりと出会う場所の目印にしていた。
僕がこの森に来ると、みどりはいつもこの木に寄りかかって僕を待っていた。いつからかこの木は、僕の中でみどりを象徴するシンボルになっていた。その木の切り株の上に、木の葉は落ちた。
なぜだか導かれている気がした。
僕は再び木の葉を拾おうと、手を伸ばす。その時、指先が少しだけ木の断面に触れた感触がした。
――その瞬間、世界が変わった。
この森そのものが、意志を持ったひとつの存在に感じられる。木が、草が、森が語りかけてくる。
その声を聞いて、僕は一瞬にして理解した。
あの日、なぜみどりはいなくなったのか。
あの日、なにをみどりは伝えようとしていたのか。
みどりはいったい、何者だったのか……
「そうか、みどり。ずっと、そこにいたんだね……」
僕は4年前とまったくの様子の変わらない、しっかりと根の張られた大きな切り株を見つめてつぶやく。
みどりは4年前から、変わらずにずっとそこで待っていた。
「ごめんね、みどり……」
切り株の断面を優しくなでて、謝罪の言葉を口にする。木の根はだいぶ腐っていて、元気が感じられない。僕のこの言葉も、はたしてみどりに届いているのか分からない。
「ごめん、もっと早く気付いてあげられなくて……」
あの約束をした日、みどりはきっと気づいていた。自分が切り倒されてしまうかもしれないことを。自分が消えてしまうかもしれないことを……
ひょっとしたらあの日、それを伝えたかったのかもしれない。
今はもう、確かめられないけれど。
「……みどり?」
何かが僕の背中を押した気がした。まるで僕を切り株の上に誘導するかのように、それは僕の背中を押した。導かれるように、僕は木の上に腰をかける。
木の上に座った瞬間、全身を優しい温もりが包み込んでいき、安心した僕は、思わず瞳を閉じた。
背中に少女のものにも似た温もりを感じる。目には見えないけれど、確かにみどりを感じる。
誰かが僕の手を握った気がした。
「やっと、会えたね……」
それはほんの一瞬の出来事だった。だけど、永遠にも似た時間が僕らの間を流れていく。
返事はいらない。それでも、あの日の約束を果たそうと思った。約束をした日、覚悟がなくて言えなかったこと。今なら言える。
「ねえ、みどり……」
僕らは、あの日言えなかった言葉、思いをすべて、一つの言葉に託す。
「「愛してる」」
森の地面から無数の光の粒が舞いあがる。それは二人包み込むように広がった後、音も立てずに静かにはじけ散った。
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