〜みどりのいた空、誰かがいた森〜 第1章

 喧噪。ぐんぐんと太陽が高く向かっている中、放課後のグランドでは、今日もクラスメイトたちが楽しそうに遊んでいる。だけど、今日も僕はそれを横目に見ながら帰路につく。
 全部いつも通り。小学5年生になった今でも、そんな生活は変わらない。人付き合いが苦手な僕は、いつまでたってもクラスに溶け込めずにいる。
 なんとなく、気分が重い。こんな時は、決まっていく場所がある。そこに行けば、自然と気分が落ち着き、しばらくすると家に帰る気分になれる。
 そこは、学校からそう遠くない場所にある。そう、そこは僕だけの秘密基地。
 綺麗に整った、静かな森。それが僕にとっての隠れ家……
少し歩けば、すぐにその森に着いた。木々は初夏の日差しを浴びてキラキラと光って、いつも変わらずに僕を迎えてくれる。たまに同じ年くらいの子供たちが遊んでいることがあるけど、少し奥の方まで行けば、完全に僕一人の世界だ。
こんなにも広い場所に僕一人。人の声も聞こえないし、人目もない。最高の場所だ。
 だけど、いい加減少し退屈になってきたかもしれない。そこで、初めて僕は森のさらに奥へと行ってみようと思った。
 好奇心だけを頼りに僕は、森の奥へ奥へと進んで行く。
 一歩、また一歩と歩を進めるたびに森は少しずつ表情を変えて行く。それが楽しくって、つい僕はいつの間にか奥の方まで行きすぎてしまった。
 「どうしよう……ここはどこだろう?」
   気づけば辺りは薄暗く、木々もうっそうとしている。森の入口の方と比べると、だいぶ木の密度が多い気がする。
 だけど、そんな圧倒する森の雰囲気にもなぜか不思議と不安や恐怖は抱かなかった。
 「晩御飯までには、帰れるかな……?」
 ずっと歩いているのに、一向に見知った道に出られない。だんだん僕は不安になってきて、少し早足で森を歩く。
 決して怒ると怖いわけではないけれど、夜までに家に帰らないとお母さんが許さない。
 ざくざくと草と土を踏みしめる音だけが森の中でこだまする。こんな森の奥深く、僕だけの世界だ。そう考えると、少しだけ楽しくなってくる。
 だけど、ある時突然森の空気が変わった。今までのうっそうとした雰囲気とも、森の入口の雰囲気とも違う。なんとも形容できない、異質な雰囲気がそこにはあった。
 恐る恐る歩いていると、一本の大きな木が目に入ってきた。たくさんの枝を生やし、地面にどっしりと根を張り、天に向かって真っすぐに伸びている。
 僕は思わず歩くのをやめて、見惚れてしまった。
 その時、巨木の下で何かが動いた気配を感じた。僕は他に誰かいるのかと思って、慌てて上を見ていた視線を下げる。
 そして、その瞬間、僕の鼓動が、息が、時が、止まったような気がした。
 視線の先、彼女はいた。巨大な木に背中をもたれながら立っている。
 年齢は同年代くらいだろうか?まだ明らかに小学生くらいの見た目なのに、彼女の表情からは慈愛にも似た優しさと、聡明さが溢れ出ていた。
 腰まで伸びる長い髪は、先の方が少しカールしていて、なんとも大人びて見える。
 少なくとも僕のクラスメートにはこんな女の子は一人もいない。僕には彼女がとても幻想的に見えた。

女の子はこっちに気づいて、振り返った。
「こんにちは……?」
「こ、こんにちは……」
口を開けば、彼女は声も可愛らしくて、僕はあいさつを返すので精一杯だった。
「こんなところで、どうしたの?」
彼女はまたしても、鈴の音の様な声で問いかける。
「ちょっと、辺りを散歩してただけだよ……ほら、この辺りって良い景色でしょ?」
ちょっと見栄を張りたくなって、歩いているうちに道に迷ったなんて言えなかった。彼女なら道が分かったかもしれないのに……
 彼女はきょとんとした顔でこっちを見つめている。彼女のすぐ後ろには大きな幹の大木が、空に向かって真っすぐに伸びている。その木の葉っぱの間をくぐりぬけて届く、木漏れ日がちょうど彼女を照らしている。
 「ここの森は本当にいいところだよ。あなたもそう思ってくれるの?」
 「うん。僕も、この森は大好きだよ」
 「本当?嬉しい!!」
 突然、彼女は飛び跳ねるように喜んだ。
 「あ、あの……ひとつお願いがあるんだけど、聞いてもらえる?
」  少しうつむきながら、小さい声で彼女は言う。
 「なに?できる限り聞くよ?」
 「あ、あの……一緒に、遊んでくれる……?」
 彼女は白い頬をうっすらと赤く染めて、上目遣いにそう言った。最初に彼女を見た時は、大人びて見えたけど、年相応の顔もするみたいだ、なんて思った。
 「もちろん。僕なんかが相手でよかったらだけど……」
 僕のその言葉を聞いた彼女は、大きくにっこりと笑った。  それを合図にするかのように、僕たちは遊び出した。同年代の人と遊ぶのなんて、すごく久しぶりで、僕の遊びはすごく下手くそだった気がした。
 けれど、彼女も僕と同じくらいに不器用で、きっと遊び慣れてないんだと思う。だけど、不器用な僕たちだからこそ、全力で遊べた気がした。
 結局そのまま日が暮れまで、僕らはがむしゃらに、森の中で自由に遊び倒した。
 「ねえ。そうえば私、あなたの名前を聞いてなかった」
 僕はその時になって、まだお互いの名前も知らないことに気が付いた。遊び疲れた僕は彼女に道が分からなくなっていたことを明かして、森の外まで案内されているところだった。
 「僕は、植村和人って言うんだ。植村でも和人でも、どっちでも好きな方で呼んでくれていいよ。
 君の名前は?」
 「えと、あ。私の名前か……
 じゃあ、私のことは、みどりって呼んでくれる?私は和人くんって呼ぶね」
 「うん、わかった。ちゃんと、みどりって呼ぶよ」
 ちょうどその時、視界の奥の方から光が差ひてくるのが見えた。きっとそこで森が終わるんだろう。僕はようやく森の外へと帰れるんだ。
 帰ったらお母さんになんて言い訳しよう?
 「ほら、あそこから行けば町に出られるよ」
 みどりはまっすぐ先を指差した。
 「きみは、みどりはどうするの?まだ帰らないの?」
 「私は、もう少し森に残っていくね。それに私の家はこことは反対側だから」
 「そっか……」
 「うん……」
 僕らはお互いに別れを感じ取って、黙り込んでしまう。次に口を開けば、それは別れの言葉だから。
 「ここまで送ってくれてありがとう。それと、一緒に遊んでくれて……」
 それでも僕は口を開いた。
 「ううん。私の方こそありがとう。すごく楽しかったよ……」
 「それならよかった……
 ごめん、みどり。お母さんが心配するからもう帰らなきゃ……
」  「大丈夫だよ。今日は和人くんに会えてすごくうれしかったから……
 バイバイ」
 「うん、バイバイ」
 別れは思いのほか、あっさりしたものになった。だけど、不思議と寂しいと言う気持ちは湧かなかった。
 僕の心の中には、また会えると言う確信があったから。だから僕は、そのまま背を向け町へと向かっていけた。


 僕が初めてみどりと出会ってから、ちょうど一週間が過ぎた。あれからみどりには会っていないし、森にも行っていない。けれど、森に行けばまた必ず会える気がした。だから、僕はまた久しぶりに森に行こうと思った。
 森の前に来る。一週間前と変わらず、光を浴びた葉の緑が僕を歓迎してくれいる。僕は躊躇もなく森の中へと入り、さらに奥へと進んでいく。もう道なら完璧に覚えた。
 10分ほど歩いたころ、ようやく辿り着く。彼女は初めて会った時と同じように大木にもたれかかり、彼方を見つめている。
 「やあ、みどり。また来ちゃった」
 みどりは僕に気が付くと、満面の笑顔を浮かべて応えた。
 「うん、待ってた」
 僕らは合図もなく、再び遊び始める。

 「和人くん、今日はありがとう」
 帰り道、今日も森の入り口まで送ってもらっている。僕は大丈夫だと断ったのだけれど、どうしてもと言われて、結局二人で歩いている。
 「どうしたの、突然?別に感謝されるようなことなんて……」
 「ううん。今日、来てくれたから……それだけで、私は嬉しいよ」
 そう言ったみどりの頬はほんの少し赤くなっていて、綺麗だと思った。こんなみどりの表情が見られるのなら、何度でも来よう。
 まだ出会って一週間しか経っていないけど、いつのまにかみどりの笑顔が僕の宝物になっている。
 絶対にまた来ようと心の中で決意しながら、僕はみどりと森の中を歩いた。

 「また、来ちゃった」
 僕は照れたように笑いながら、3日ぶりの再会を告げた。これでみどりと会うのは3回目だ。僕が会いに来ると、いつもみどりは大樹の下でたそがれている。僕が来なければ、彼女は一日中そうしているのだろうか?
 「ねえ、みどりはいつも森に居て、寂しくないの?」
 その日の帰り道、ついに気になって聞いてみた。
 「別に、私にとっては当り前のことだから、あんまり寂しいと思ったことはないよ。でも、和人くんが来てくれるようになってからは……」
 きっと、僕らは似た者同士なんだと思う。だからこそ、お互いに必要としていくんだ。

 その日から僕は、みどりに会うため毎日森に通うようになった。別に約束をしたわけではないけれど、僕らは毎日会うのが当たり前になっていた。

 夏が本番に差し掛かり、ますます日差しも強くなった。けど、森の中は最高の避暑地だったし、みどりと遊んでいれば暑さなんて忘れていられた。
 そして、夏休みに入っても僕らは変わらずに遊び続けた。何度か用事があって会えない日もあったけど、彼女はいつも変わらずに待ち続けてくれた。
 それが僕にとってなによりも嬉しくて、ますます彼女に会いたいと、そう思うようになっていった。
 さらに、夏が過ぎて秋が来る。森の木々が徐々に冬支度を始め、葉の色が変わり始める。
 そのころには僕たちは昔ほど遊ばなくなっていた。ただ一緒にいるだけでいい。そう思えるようになっていた。木の枝の上に二人で登って、延々二人でなんてことのない話をしたり……
 気づけば僕らの関係は、友達から家族へと変わっていたのかもしれない。
 秋の気候は穏やかで、本当に緩やかに時間が過ぎていった。僕らは二人寄り添って、そんな中をただひたすらに静かに過ごした。
 あまりにもみどりに会いたくて、思わず学校を抜け出して会いに行ったりもしたけど、みどりに叱られたから、それ以来学校にはちゃんと行っている。
 だけど、学校で過ごす時間よりも、家で過ごす時間よりもなによりも、みどりと過ごす時間が大切に思えた。
 毎日、同じ時間が流れ、代わり映えのない風景が通り過ぎていく。
 「ねえ、みどり。たまには一緒に町に出ない?この間、お母さんとお父さんと駅に行ったんだけど、みどりと一緒に行きたい場所がたくさんあったんだ」
 僕はなにも変わらない毎日が大切なんだと分かっていたけど、どうしても聞いてしまった。
 「……ごめんね。私はちょっと行けないの。この森からは出ちゃいけないから」
 「こっちこそ、ごめん。森から出ちゃいけないって、言い聞かされているの?」
 もう何カ月も彼女と一緒に過ごしているけど、実はなにも分かってはいなかった。彼女がどこに住んでいるのか。どんな暮らしをしているのか……深追いはしてはいけないと分かっていたけど、聞かずにはいられなかった。
 「そんなところ、かな。ごめんね、余計な気を使わせちゃって」
 みどりは今まで見せたこともないような、悲しげな表情を浮かべて小さくうつむいた。そんなみどりの姿から、申し訳がないという気持ちが痛いほど伝わってくる。
 「こっちこそ、ごめん……」
 この森の中で出会うからこその僕らなんだと、忘れていたのかもれない。それに気づいた瞬間、急に自分が恥ずかしくなってきた。
 確かに僕はみどりのすべてを知らない。それどころか、知らないことの方が圧倒的に多いかもしれない。
 それでもいい。この森の中で、僕らが二人でいる間は、僕らは僕らでしかないんだから……

 そして、また季節は流れ、冬が来た。冬になると、森の中はより一層静けさを増して、少し不気味な感じもするほどだった。当然、日が沈むのも早くなり、街灯もない森の中は5時にもなれば、もう真っ暗だ。
 早く家に帰らなければいけないのは残念だけれど、今までと変わらない、穏やかな日々が続くと思っていた。
 「おはよう。みどり」
 「あ……ごめんね。また寝ちゃってたんだ」
 冬場に入ってから、明らかにみどりが森で寝ている日が増えている。もちろん、一日中寝ているわけではないし、起こせば目を覚ましはする。だけど、出会った当時の夏場にはこんなことは全くなかったし、少し心配になる。
 「最近、寝ていることが多いけど、大丈夫?風邪とかじゃないよね?」
 みどりは眠い目をこすって、なんとか目を覚まそうとしている。
 「大丈夫だよ。本当にただ眠いだけだから。私って、冬に弱くって毎年こんな風になっちゃうの……」
 みどりの口調からは諦めのようなものが感じられて、きっとこれは仕方ないことなんだと思えた。
 「じゃあ、春が来ればまた元気になるの?」
 「うん、必ずね」
 みどりはそう言って、力強く笑って見せてくれた。その笑顔には、確かに信じられる力強さがあった。
 「じゃあ、春が来るまでは、僕もこうして隣で寝ていようかな」
 「うん、ありがとう」
多少の形の違いはあったとしても、僕らの穏やかな生活は変わらない。永遠にこんな日々が続くはずだと、訳もなくそう信じていた。
みどりの寝息がすぐ近くから聞こえてきたのを聞いて、僕はみどりと同じように大木によりかかりそっと目を閉じた。

 どんな時も、なにをしていても平等に時は流れていく。凍えるように寒かった森の中にも、少しずつ春のぬくもりが伝わってきた。
 地面からは小さな新芽がたくさん生えてきて、木々は再び元気を取り戻しているように見えた。それに呼応されるようにみどりも眠っている時間が少なくなって来て、以前よりも元気でいられるようになってきた気がする。
 「今日から、3月だね。もう寝なくても大丈夫なの?」
 「うん。おかげさまですっかり元気になったよ!」
 「そっか。ならよかった」
   時間は流れていく。みどりの元気がなかったことも、時間が解決してくれた。きっと、これからも時間が僕たちに幸せを運んでくれると、そう思えた。
 僕が両親から引っ越しの知らせを受けたのは、その3日後のことだった……

 「和人くん、最近元気ない……?」
 「そ、そうかな?別に全然いつも通りだよ?」
 みどりは少し心配そうに目を細めて、こっちを見つめている。その聡明な瞳に見つめられると、僕の心のなかに秘めている隠しごとも、全部見透かしているみたいだ。
 「なら、いいんだけど……」
 僕は未だに引っ越しのことをみどりに打ち明けられずにいる。
 3月の終わり。ちょうど6年生へと進級する時に、東京の学校に転校することが決まったらしい。なんでこんな時期に、と両親に文句を言ったけど、子供の発言程度じゃ家族の計画を変えることはできなかった。
 引っ越しまでの期間は、もう後一カ月を切っている。だと言うのに、どうしても引っ越しの話題を切り出せない。
 伝えなきゃいけない。そして、できることなら引っ越しなんてしたくないと、みどりと別れたくないと、泣きつきたい気分だった。
 だけど、どうしても言えない。結局、口にしてしまえば今の二人の関係が変わってしまうと思ったから。そんな意気地の無い僕を、なんともみじめな気持になった。
 僕はこんな大事なことも伝えることができない。このまま伝えられないままお別れなんて絶対にしたくない。僕はみどりと一生一緒に過ごしていくんだと、信じて疑ってこなかった。離れたくない、別れたくない……そんな気持ちを抱いたまま、時間は残酷に過ぎていく。
   何もできないまま、引っ越しの日、その3日前の朝がやってきた。
 普段は何気なく歩いている森の中だが、今日はなんとなく景色を見ながら歩いていった。今日こそは絶対に、みどりに引っ越しのことを伝えるんだと、僕はそう意気込みながら森を進んでいった。
 そこで、ちょっとした違和感に気づく。久しぶりに森をしっかりと見たからかもしれないが、森に生えている木の数が減っているように思えた。普段はびっしりと隙間なく生えている木々が、少し間があるように見える。
 少し気になって足を止めてみてみると、足元には切り株が点在しているのが見に入ってきた。
 そうか。きっと木の数が減っているのは、こうやって木こりの人が木を切り倒していったからなんだ。
 森ではなんでもない当り前の光景。僕はすぐにみどりの下に、足を急がせた。
 「みどり、おはよう」
 今日この後、話そうとしていることを考えると頭が重い。みどりにどんな顔をしてあったらいいのかもわからない……
 「……?みどり?」
 「え?ああ、ごめん。和人くん、おはよう」
 なぜだか、どこかみどりの様子に元気がない。冬場の時と違って、眠いわけではなさそうだが、心ここにあらずと言った感じだ。
 「元気、ないね……」
 「そうかな?私は別に、いつも通りだよ?」
 今日引っ越しのことを打ち明けるのは止めようと思った。なにも、みどりがこんな元気のない時に打ち明けることもない。
 「そっか。ならよかった」
 そうだ。まだ時間はあるんだから……

 次の日も、僕は覚悟を決めて森の中をつき進んだ。
 今日はみどりは元気でいるだろうか?僕はちゃんと言えるんだろうか?そんなことばかり気にしながら、ひたすら歩いていた。
 「おはよう。みどり」
 「うん。和人くんも、おはよう」
 相変わらず、みどりは少し元気がなさそうに微笑んだ。けど、昨日に比べればだいぶ良くなったと思う。
 ただ、みどりのことだ。本当は元気が戻ったんじゃなくて、元気がないことを隠すことがうまくなっただけかもしれない。そう考えると、なんだかまた、打ち明けるのが怖くなってきた。
 その時、森を一陣の風が吹き抜けて、木々がざわざわと騒ぎ立てた。
 「ねえ、みどり。約束をしない?」
 「え……?」
 みどりは、僕の言葉に虚を突かれたようだった。
 「明日、とっても大事な話を僕はしようと思う。だけど、今僕がこの話をしてもきっとお互い冷静に話せないと思うんだ。すごくつらい話だから……
 だから、約束をしよう。僕は明日つらい話をする。明日までにお互い、覚悟を決めてまたここで会うって……」
 僕は一方的に状況の分かっていないみどりに話しかけた。きっとなにがなんだか分からなっただろう。だけど、ほんの少しだけでも、僕の気持ちを感じ取ってくれたならいいな。
 「うん。わかった。
 でも、ごめんね、和人くん。実は私からも話さなきゃいけないことがあるの……」
 みどりの口から聞こえた返事は、すごく予想外なものだった。
 「だから、明日一緒に話そう?」
 「うん、わかったよ……」
 みどりの話さなきゃいけないことって言うのは、いったい何だろう?みどりの元気がなかったことと関係あるのかな?自分で明日にしようと言いだしておいて、明日まで待つのがとても億劫に感じてしまう。
 それでも、僕自身が決めたことだから、明日までに覚悟を決めなければいけない。僕たちが交わした、初めての約束だから。
 普段はあっという間に過ぎていく一日が、今日はずっと長く感じられた。それでも必ず明日は来る。
 僕は約束通り覚悟を決めて、もう何度目になるかもわからない、いつもの森の中の道を進んでいく。その先にいる、少女の元を目指して。
 ――けれど、目指した先にいつもの少女の姿はなかった。
 「なんで、いない?」
 困惑のあまり、思わず声が出る。けれど、今日だって何時に会おうと約束をしたわけじゃない。いつここに来てもみどりがいると思っていたけど、みどりだって他の場所にいることだってあるはずだ。そう 言い聞かせて、しばらく待っていることにした。
 みどりが来るまで待っている間は、とても長い時間に感じられた。今までみどりを待つなんてことなかったし、みどりがいないせいか、まるで別の場所に変わってしまったかのように居心地が悪い。見える景色が普段と違って見える。
 「探して、みようかな……」
 じっと待っているだけだと、どうにも落ち着かない気分になる。道に迷わない程度に、辺りを探してみようと思った。
 だけど、みどりはいつも、僕がいつ来るのかもわからない中待っているんだ。毎日こんな不安な気持ちになっているのかと思うと、今更ながらに申し訳なくなってきた。
 僕は森を歩く。30分ごとにいつもの場所に戻ってきては、みどりが来ていないかを確認する。それを何度か繰り返したころ、近場は全部調べきってしまって、1時間ごとにいつもの場所に戻るようになった。  それでも、みどりは見つからない。いつまで経っても、いつもの場所にも姿を見せない。辺りはもう、真っ暗になってしまった。
 僕はもう諦めて帰るしかなかった。

 僕は物音で目を覚ます。家族はみんな、引っ越しの準備で大忙しだった。今日はもう引っ越し当日。時間はない。
 「お母さん。ちょっと出かけてくるよ」
 「そう。みんな12時には家を出るから、それまでには帰って来なさい」
 忙しそうにしている家族を横目に見て、僕は家を飛び出した。タイムリミットは12時だ。
 僕は自転車にまたがって、森まで走ったけど、森までの道のりがもどかしくてしょうがない。
 やっと森に着いたころには、時計の針はもう9時を指していた。
 お願いだから、いつもと変わらない姿で微笑みながら僕を待っていてほしい。そう願いながら、森の中へ入っていく。
 外は今にも雨が降り出しそうな曇り空。森の中には光が届かず、まるで夜のような暗さだった。
 森はざわざわと不気味な音を立てて、必死に何かを叫んでいる。よく見てみれば、切り倒された木の数が、前よりもさらに増えている気がする。みどりとよく、二人で遊んだ木も切り倒されている。僕はなんだか、自分の思い出が汚されたみたいで、すごく悲しい気分になった。
 「みどり……」
 ようやく、いつもの場所に辿り着く。僕らが初めて出会った場所でもあり、いつも一緒に過ごした思い出の場所だ。
 少し開けた空間と、みどりがいつも寄りかかっていた大木。それさえも今は切り倒されて、ただの切り株になってしまっていた。
 「みどり。みどり。みどり……」
 そこにみどりの姿はない。
 切り倒された大木。いなくなってしまった、みどり。
 なにもかも、ついこの間までの楽しかった日々の面影はない。
 「なんで?どうしてなの?」
 何の前触れもなく、僕らの生活は消え去ってしまった。今日、僕はこの町を出なきゃいけないって言うのに。別れの言葉も言えないままに……
 僕は歩いた。時間の許す限り、みどりを、そして僕たちがいたという証を、探すために、僕はひたすら歩いた。
 みどりが僕に話したかったことって、いったいなんだったんだ?僕が伝えたかった言葉も、結局伝えられなかった。
 全部、あやふやなまま終わってしまった。
 「なんでだよ。なんでなんだよ……」
 森の中をいくら探しても、みどりの姿は見当たらない。
 頬を、雨が打った気がした。時間は、もうない。
 「う、うああ……」
 泣いちゃだめだってわかっているのに、どうしても嗚咽が漏れる。でも、きっとまだ、涙は流れていない。
 みどりに会いたい。なんでみどりはいないのか?何度考えても、答えは出ない。
 「うああああ!!みどり、みどりぃ……」
 こらえていたモノが溢れ始める。
 「みどり、なんで黙っていなくなっちゃうんだよぉ……ひどいよ。
 うわああああああん!!」
 風が吹く。まだ肌寒い風が何度も吹いて、木の葉を揺らしていく。森の木々はざわざわと不協和音を立てながら揺れている。
 まるで、森も泣いているみたいだ。
 一度あふれだした涙は止められず、ぼろぼろと溢れだしてくる。こんなに暗い森の中で、僕は一人大粒の涙をこぼして泣いている。
 どうしようもなく、孤独だ。
 「うう、ああ……みどり、会いたいよ……」
 僕は森の中をただ歩く。当てもなく彷徨い歩く。時間が来るまで、僕は森の中をただ浸すら歩き続けた。
 うるさいくらいの森のざわめきが、僕の心をかきむしり続けている。



 「みなさん、ご卒業おめでとう!!」
 校長からの挨拶を受けて、僕たちは卒業式の定番ソングを歌う。曲名は覚えていないけど、たぶん歌えると思う。まさか、卒業式がこんなに感慨の無いものだとは思わなかった。
 周りのクラスメイトたちの半数くらいは涙を流している。結局、この学校でも僕は、クラスになじめなかった。いや、今回はなじむ努力すらしていなかったかもしれない。
 卒業式が無事に予定通り終わると、僕たち6年生は体育館から退場する。これでもう、こんな学校に来ることもなくなるんだ。そう思ったところで、喜びも悲しみもどんな感情も湧きあがってはこなかった。
 東京の少し外れに位置する、小さな町の、小さな小学校。30年前ほどに造られた一般的な校舎に、どこにでもいるような普通の教師たち。
 僕は最後に校舎の側に振り返り、つぶやいた。
 「さようなら」
 次はまた中学生活が始まる。期待も不安もない。ただ無為に日々を過ごしていくだけ。それだけの生活を送っていくだけだ。
 僕の毎日は、みどりを無くしてから彩りを失ってしまったのだから。


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