〜みどりのいた空、誰かがいた森〜 第2章

 「植村、おはよ」
 「ああ。島崎も、おはよう]
 中学3年の夏、いつもの場所で、いつものようにいつもの人と、私はあいさつを交わした。とある都立中学の通学路、私は毎朝いつもこの場所で植村和人と待ち合わせをしている。
 「ねえ、植村。あんた、また顔色悪いよ?寝不足?」
 「そうかもな。昨日もずっとやってたからな」
 「また勉強?別にどれだけやろうとあんたの勝手だけど、少しくらい休憩しなよ。あんたが風邪でも引いたら、困るのはあたしなんだからね?」
 私は相変わらず無理を続ける植村に、思わず非難の言葉をぶつける。私がこうやって文句を言うのも、決して今に始まったことじゃない。
 植村はいつだって自分を追い込む癖がある。そんな様子はまるで、何かから目を逸らしたいかの様に見える。
 「じゃあ、風邪をひかないように気をつけるよ」
 「そういう問題じゃないって」なんて言葉を、喉元でなんとか飲み込んだ。言ったところで、植村の心に届かないことくらい分かっているから。
 「そう。もうそろそろ受験シーズンなんだから、それまでは頑張りなよ」
 「ああ、もう何か月もないんだ。頑張るよ」
 お互いに過干渉しない。それが、私たち二人が一緒に過ごしていくための、ルールだった。

 「ねえ、玲奈。あんた、あれから植村くんとはどうなの?ちゃんと進展してんの?」
 昼休み、クラスメイトがぶしつけに聞いてくる。
 「別に、どうもなにも、なにもないよ。お互いいつも一緒にいるだけ。ただの気の合う友人みたいな感じ?」
 自分で言ってみて、今の例えはないなと思った。私と植村は、そんな甘ったるい関係じゃない。一緒にいて楽しいわけでもないし、よくこれだけ一緒にいられる関係になったものだと思う。まあ、元はといえば私が植村に一目ぼれして、接近したのが始まりだった訳だけど。
 「ふーん、まあ頑張りなさいよ。二人ともこういうの奥手っぽいし、関係を進展させたいなら、もうちょっと大胆に行ってみることね」
 「そんなの、あんたに言われなくたってわかってるっての」
 実際のところ、私たちの関係は出会った時からなにも変わっていない。いつも一緒にいるのに、お互い自分のことを話さずに、お互いが相手の領域に足を踏み入れようとしない。
 近いようで遠い場所。それが私たちの心の距離。きっとその距離間が植村にとっては居心地がいいのだろうけど、私にとってはそれがもどかしくてしょうがなかった。
 人づきあいが下手くそで、恋愛経験なんて全くなかった私が、植村と出会ってから初めて誰かを好きになれた。
 植村は他の人とは違う。中学の入学式で初めて出会った時から、そう確信した。そう一瞬で確信できるほどに、彼は明らかに異質だった。
 私が彼に初めて出会ったのは、中学の入学式。彼は明らかに周りから浮いていた。中学に上がりたての男子なんて、みんな小学生のころと中身の変わらないバカしかいないと思っていた。だけど、彼だけは違った。
 彼は他の男子とは、持っている雰囲気や風貌、オーラ、私の知っている言葉じゃうまく言えないけど、明らかに他の男子とは違った。
 そう。どこか影のある顔つきをしていた。
 私は入学式以来、どんどん植村に惹かれていった。つまり簡単に言うと、一目ぼれという奴だ。
 私は中一の時、植村と同じ委員会に入って、彼と仲良くなろうとした。実際、それがきっかけで私たちはいつも一緒にいるようになれたし、植村も私のことを拒むことはしなかった。
 だけど、それから私たちの心の距離が近づくことは、一歩たりともなかった。進むこともしなければ、後退することもない。そんな二人の心の距離が、どうしようもなく私はつらい。
 もうそろそろ夏も終わり。遊びに誘い出してみるのもいいかもしれない。
 「ちょっと行ってくる」
 「はいはい。頑張んなよー」
 クラスメイトは冷やかすように笑いながら、軽く手を振って見送った。別に二人での遊びを誘うのは初めてじゃないけど、今回は心の持ちようが違う所為か、どうにも緊張した。
 「ねえ、植村?今度、さ……」

 9月中旬の夏の終わりに、私は新宿駅西口の入口で壁に寄りかかって立っている。今日は待ちに待った、植村とのデート(二人きりで出かける訳だから、つまりはそういうことでしょ?)。
 日曜の新宿駅は人の往来でごった返している。友達同士でだったり、家族でだったり、恋人同士だったり。私はそんな幸せそうな光景を恨めしげに見つめている。
 「島崎、おまたせ」
 集合時間の5分前、植村はやってきた。植村の服装は、今までに何度か見かけた、よくありがちなシャツにデニムのボトム。張り切ってコーディネートしてきた、今日の私の勝負服と見比べるとなんだか空しい気持ちになる。
 「じゃあ、行こう。あんまり時間もないし」
 「そんなにいろいろ行くつもりなのか?悪いけど、俺はまったく今日の予定なんて考えてなくて……」
 「いいよ。私が誘ったんだし、今日一日くらい私に着いて来てよ」
 「じゃあ、今日一日くらい好きにされてあげるよ」
 「言ったね?」
 ようやく私たちは、新宿駅を出て歩き出す。植村と一緒に行きたい場所はいくらでもある。今日一日じゃあ回りきれないほど……
 「ああ、別に行きたいところもないしな。やりたいこともないし……」
 そう言う植村の顔は、少しさびしそうに見えた。今の植村はきっと、生き甲斐みたいなものがないんだと思う。
 「ほら。のろのろ歩いてないで、さっさと行こう」
 通りに出ると、往来を行く人たちがさらに増えた気がする。私たちもその雑踏にまぎれて歩き出す。そのあまりの人の多さに、一瞬だけ植村を見失いかける。
 「ったく、あんまり遠くに行かないで」
 人混みに紛れた植村は、ふとした拍子にいなくなってしまいそうなほど儚げに見えて、思わず私は手をつかんでいた。
 かろうじて振り絞った声は、いつもよりも数段とキツイ声色になっていた気がする。
 「……悪い」
 それでも、植村もほんの少しだけ手に力を入れて、私の手を握り返してくれた。それが嬉しくて、けど同時にまた不安になって、植村の手を握る力を少し強くした。
 「どこにも、行かないで」
 その後も、私たちは手をつないで歩いた。外の日差しは凄まじくて、すぐに手からは汗がにじんできてしまったけどそんなの関係ない。私たちはお互いに、強く手を握り続ける。
 だけど、5分ほど歩くと目的地が見えてきた。事前に調べてたパスタ店。私の中の予定では、まずこのお店でお昼を食べる予定だった。
 さすがにお店の前までくると、気恥ずかしくなって、私たちは手を離す。少し寂しくはあったけど、植村の手の温もりが残っていて、満足感で満ちていた。
 少し背伸びをした小洒落たパスタ、植村と食べるそれは、今までで食べた何よりも美味しい。
 「うん、結構美味しかったね。ボリュームもあって、すごく満足出来たよ」
 そう言った植村の顔は、少しだけ微笑んでいた気がする。だけど、そんな些細な表情さえ、私は今までで一度も見た事がなかった事に気づかされる。
 「植村って、意外に結構食べんだね。普段はそんなに食べてるの見ないから、なんか意外」
 「そうだね、普段はそんなに食べないけど……美味しい物は別だから」
 「そっか、ならよかった……」
 私たちのデートは続いていく。お昼を食べたあとは、映画を見に行って、その後は喫茶店に入っていろいろと話をした。
 話と言っても、相変わらず当たり障りのない、うわべだけの会話だけど。
 そして最後は、私の気に入っている服屋に連れて行って、いろいろと選ばせた。
 そんなことをしているうちに時間は過ぎて、すぐに夜が来た。私たちが再び新宿駅まで戻ってきた時には、もう辺りは真っ暗になっていた。
 「もうすっかり暗くなったね」
 私はいつもみたいに、そっけなく話を振る。駅の壁にもたれかかって、私たちは立っている。周りには家路を急ぐサラリーマンや、別れを惜しむカップルとか、たくさんの人が行きかっている。
 「うん。そうだね」
 もういよいよ、私たちの時間が終わってしまう。そんな実感が、今更になってようやく湧いてきた。だと言うのに、植村はいつもと全く変わらない風に、何の感情もこもっていないような、それでいて優しい声でしゃべってくる。
   「もうそろそろ、帰んなきゃだね」
 「うん。そうだね。俺達はまだ中学生なんだから」
 今日一日、私たち二人はいろいろな話をして、いろいろなことをして、一緒に過ごしたって言うのに、二人の関係は変わらない。この中途半端な距離間も、なにもかも……
 すぐそばにいるのに、どうしようもなく遠い。植村の目には、私が映っているはずなのに、植村は私なんかを見ていない。中学校で出会ってから、2年半とずっと一緒に過ごしてきたけど、一度も私のことを見てくれたことはない気がする。まるで植村だけ、私たちのいる世界とは、少しだけずれた別の世界にいるみたいだ。植村が私の手の届かない、遠い世界に行きそうですごく怖い。
「ねえ、植村。お願いだから、私を見て……」
   植村との距離は30センチ。真正面にいる植村の目線は私の方を向いているはずなのに、視線の先は私の後ろにいる別の誰かを向いているみたいだ。
 私の知らない、誰かを見ている……
 「――」
 植村が何かを言おうと、口を開きかけた。私はそれを……
 私の唇で、思いっきりふさいだ。
 なにも聞きたくなかった。
 「……お願い」
 私は一度、口を離して、もう一度ささやく。
 植村は始めこそ少し驚いたような素振りを見せたけど、すぐにいつもの表情に戻っていた。
 「島崎……」
 はたから見れば、きっと私たちは見つめ合っているように見えるんだと思う。
 「植村……」
 ――突然、背中に力が加わった。
 「ごめん」
 植村の顔が、本当にすぐ目の前に迫ってきた。唇には人肌のやわらかい温もり。全身に伝わる体温と、安心感。一瞬何が起こったのか分からなかった。
 少しずつ落ち着いてくると、ようやく何が起こったのか分かってきた。
 私は今、植村にキスをされたんだ。
 私は今、植村に抱かれているんだと……
 私もそれに応えるように、植村の背中に手をまわして抱きついた。
 植村が何を思って"ごめん"と言ったのかは分からない。だけど、そんなことどうでもいいと思ってしまう。植村のぬくもりに溺れていた。
 新宿の駅前で、私たちはただ抱きあった。それはきっと、とても盲目的な行為なんだと思う。だけど、それでもいいと思ってしまった……


 「ねえ、植村。あんた、もう志望校決まったの?」
 夏の終わりの、あのデートの日からも、ただ一つの変化を除いて、私たちの根本的な関係はなにも変わっていない。そのまま何も進展もなく、夏が過ぎて秋がやってきた。髪をなでる風が、少しずつ冷たくなるのを感じるたびに、私の心は焦りを増していく。肩をくすぐる短い髪が少し鬱陶しい。
 「さすがに、もう決めてるよ。前から言っていた通りに、一高にすることにした」
 「そうだろうと思った。一高なら都内で一番だし、あんたみたいな勉強マニアには向いてるよ
」  この時期になると、周りはもう受験の話で持ちきりだ。こんな私だって、気にならないわけじゃない。だけど、植村の志望校を聞いたところで、どうにかなるわけじゃない。
 私と植村じゃ生きてる世界が違いすぎる。私の学力なんて、せいぜい中の上くらいで、学年トップの学力の植村と、一緒の高校に行ける奇跡なんて、私がどんなに逆立ちをしたって起きやしない。
 だからわかっている。私と植村は、中学を卒業してしまえば、もう二度と会えなくなる。卒業後もわざわざ連絡を取り合って、会う約束をするようなそんな関係じゃないことも分かっている。だからきっと、卒業式が私たちにとって最後の日になるんだろうと思う。
 「別に勉強したいから一高にしたわけじゃないよ。ただ、どうせ手が届くのなら、いい学校に行きたいだけ」
 植村は冷めた口調でそう言った。上の学校を目指すことに興味なんて無いように見えるけど、それでもきっと、植村は一高に行くんだと思う。
 「植村、本当にそんな高校に行くの?どうせどこに行ったって、あんたは変わらないよ……」
 そんなこと分かっているのに、引きとめられずにはいられない。
 「島崎……」
 植村は少し困ったように眉を下げて、私の名前を呼んだ。いつも私は植村を困らせてばかりだ。
 「植村……んっ」
 そんな困り顔の植村に追い打ちをかけようと、私は少しだけ開けられた唇に、不意打ちで口づけをした。
 「…………島崎は、いつも卑怯だ」
 唇をお互いに離すと、植村のさらに困り切った顔が目の前にあった。
 次の瞬間、再び唇が温もりに包まれた。仕返しだと言わんばかりに、植村がキスをした。
 あの夏の終わりのデートの日から、わずかに変わった私たちの関係。私たちは、あの日から日常的にキスを繰り返すようになった。
 空っぽの心満たすために、私たちはキスを繰り返す。唇が触れ合っている時間だけは、心の痛みも全部忘れられる気がしたから。

 気が付けば秋の心地いい風は、冬の刺すような風に変わっていた。なんだか最近、秋という季節が一瞬になってしまったように感じる。
 それでも、秋が終わって冬が来ればいよいよ受験シーズン本番。周りからは一切の余裕が消えて、教室の空気も張りつめたものになっている。各高校で受験が始まると、教室からは人が減っていき教室の半分しか人がいないなんて、異様な光景になった。
 こうして、私と植村は学校で会えない日が増えていった。もう中学生活が終わって、別れはすぐそこまで迫っているのに、私はなにもできずにいた。
 心には焦りがどんどん溜まっていく。勉強も身が入らない日々が続く。
 そんな中、私の下に合格通知が届いたのは、ちょうど冬の盛りの頃。適当に受けた近所の中堅校からの通知だった。
 別に何の感動も喜びもない。受かって当り前の高校だったし、なにより植村がまだ合格していない。
 受験シーズンの真っ盛りに植村は体調を壊して、一高を始めいくつかの高校に落ちてしまった。
 最後の受験日程は卒業式直前の3月で、たぶん当分は植村と会えることはない。焦りと不安で、心が潰されそうだ。
 植村のいないつまらない学校に通って、家ではじっとして退屈をしのぐ。そんな生活を繰り返して、ようやく私が植村の合格の知らせを受けたのが、卒業式の前日だった。
 「久しぶり、島崎。ごめんな、心配かけて……」
 卒業式の朝、私は久しぶりの再会をした。久しぶりに会ったって言うのに、植村は今までと何も変わらずにいた。
 「植村、一高合格おめでとう。まあ、あんたならそれくらい余裕だと思ったけど……」
 「ありがとう」
 そういう植村の表情は少しも嬉しそうじゃない。一高の合格も、植村にとってはどうでもいいことなんだ……
 だとしたら、植村が喜びを感じられることっていったいなんだろう?そんなものが、とてもこの世界にあるとは思えない。だけど、それも当たり前かもしれない。植村は私たちとは違う、別の世界を生きているのだから……
 「ねえ、玲奈。卒業式始まるよ〜。いちゃつくのは、せめて卒業式の後にしてよね」
 ぶっきらぼうな声で、クラスメイトが呼びに来る。気が付けば、もう式の開始時間。中学生活が終わると言うのに、私の心はどこまでも冷めていた。
 「みなさん、ご卒業おめでとう」
 卒業式の進行は非常にスムーズに進んでいった。送辞、答辞、合唱に卒業証書授与。私はどれも、とても当事者とは思えないほど一歩引いたところから眺めていた。
 仮にも3年間過ごした校舎だっていうのに、これほどなんの感慨もないとは思わなかった。冷めた人間だって言うことぐらい分かっていたけど、ここまでひどいとさすがに呆れてくる。
 クラスメイトは涙を流している。逃げるようにそこから目をそらすと、偶然植村が目に入った。その表情になんの感情もない。植村だけはいつも通りだ。
 「卒業生が退場します」というアナウンスの後、私たちは体育館を去っていく。
 外に出ると、クラスメイト達が泣きながら抱きあったり、一緒に写真を撮ったりしている。私と植村はそれをわき目に見ながら、体育館裏にある木の陰に隠れた。
 覚悟なら、とっくにできていた。
 「卒業、おめでと……」
 「島崎も、おめでとう」
 「うん、ありがと……」
 「…………」
 少しの沈黙が続いた。植村もきっと分かってるんだと思う。今から私が、なにを言おうとしているのか。
 「卒業式、終わったね」
 それでも、私は言わなければいけない。
 「うん……」
 「もう、会うこともなくなるんだね」
 植村の気持ちなんて、痛いほど分かってる。
 「そう、だね……」
 「私は、あんたとお別れなんて、したくないっ!!」
 突然、感情が溢れだした。理性が、保てない。
 「俺だって、そんなの同じだよ……」
 植村の視線は下を向いている。そんなこと、微塵も思っていないって分かっている。
 「だったら、私と付き合って。高校に上がっても、ずっと一緒にいて」
 「――っ」
 私の言葉を聞いて、植村は絶句する。一瞬口を開きかけたけど、思いとどまったのか、すぐに口は閉じられた。
 「ダメ、なんでしょ……?あんたにとって私は、寂しさを紛らわせるためだけの存在でしかなかったんでしょ?」
 否定してほしい。そんなことはないと、はっきりと言ってほしい。でも、そんなことはあり得ないって、私だって十分わかっている。
 「ごめん……俺はやっぱり、島崎に甘えていたんだと思う」
 「そんなこと、ずっと分かってたよ……ねえ、いい加減教えてよ。なんで私じゃダメなの?私は誰かの代わりなわけ?」
 空虚を見つめるようなその目線の先に、いったいなにを見つめているの?
 「………」
 植村は、うつむいて黙り込んでしまった。一瞬、これ以上追及するのは止めようかと思った。けど、そう思った矢先、すぐに植村は顔を上げて話し始めた。
 「昔、好きな人がいたんだ。本当に、本当に好きだった……
 一緒にいるのが当たり前で、誰よりも大切で、誰よりも好きだった……
 だけど突然、彼女はいなくなってしまった。今でも理由は分からないし、お別れの言葉の一つも言えずに離れ離れになってしまったのが、どうしても悔しかったんだ」
 植村は木の下で、ぽつり、ぽつりと語り始めた。両手をいっぱいに握り締めて、たぶん皮膚にまで爪が食い込んでる。
 「僕は、彼女がいなくなったその日から……一歩も進んじゃいないんだ……」
 「だから、私とは付き合えないの……?」
 自分でも驚くくらい、冷たくて暗い声が出た。
 「その彼女のことが忘れられないからなの!?別に私はその人の代わりだっていい!今までと同じような関係でいいのに!!どうして……?」
 困ったような植村の顔も、もう目に入らない。自分でも、なにを言ってるのか分からないくらいに、私は植村への思いが爆発していく。
 「本当にごめん。でも、ようやく気づけたから。これ以上、島崎には甘えられない」
 「別に甘えてくれていいのに!私に甘えることでその心の痛みを騙せるなら、それでいいでしょ?」
 「……ごめん」
 私はたまらず、植村に向かって口づけをしようと顔を近づけた。今まではこうして、二人の心を騙してきたから。
 「ごめん、ダメなんだ……」
 植村に迫る私の体は、急に何かによって止められた。植村が私の両肩をつかんで、動きを止めたからだった。
 「なん、で……?」
 いつからかお決まりになったキスも、たった今私は拒絶された。
 「なんで?なんでよ……」
 堪えていたモノが、溢れだしていく気がした。頬を一滴の雫が滴り落ちていく。
 私の恋は、たった今破れた……
 「馬鹿……半端な気持ちのまま一緒に過ごして、勘違いさせやがって……
 中途半端に仲良くなって、夢を見させやがって……馬鹿!馬鹿!
 うわあああああああ!!!!」
 いよいよ涙が濁流のようにこぼれてくる。自分でも顔がぐしゃぐしゃになってるのが分かる。
 「ごめん、本当にごめん」
 「ううう……馬鹿、馬鹿」
 植村は何度も何度も頭を下げて謝った。だけど、今までで一番真摯に私と向き合ってくれた気がした。やっと、植村の目に私が映った。
 「明日で、4年なんだ……その子が突然いなくなってしまった日から」
 植村は、突然そう打ち明けた。なにを伝えたくてそれを打ち明けたのか私にはわからなかった。
 それでも……私は涙を乱暴に袖で拭った。
 「行ってきなよ。会えなくてもさ、ちゃんとけじめをつけに、その子のところに会いに行きなよ」
 そして、私は植村にそう告げた。
 「ねえ、島崎……」
 植村の視線が私を射る。こんなことは出会ってから初めてで、少し委縮してしまう。それでも、私も植村を正面から見つめ返した。
 「ありがとう」
 植村は笑って、私にそう告げた。それは初めて見る表情で、きっとこれが本当の植村の素顔なんだって、なぜだかそう直感が告げていた。
 「じゃあ、ごめん。そろそろ行くよ……」
 植村は私を見つめたまま、静かに告げた。
 「うん、わかった」
 いつのまにか、私の気持ちは落ち着いていた。たぶん、植村の笑顔には人を落ち着かせる力があるんだと思う。
 「じゃあ、さよなら」
 植村はそう告げると、返事も待たずに振り返って歩き去る。私はなにも言えないまま、その場に立ち尽くす。植村の背中はどんどんと遠ざかっていく。
 私の声も聞こえないほどに遠くに行った時、私はたった一言つぶやいた。
 「さよなら」
 そうつぶやくと同時に、両方の目から涙があふれて、一筋の弧を描いた。
 落ちてきた涙が口に入って少し苦い。たぶん、きっとこれが恋の味なんだと思う。
 植村の笑顔を見た瞬間、たぶん私は初めて植村に恋に落ちた。私の恋は一瞬にして砕け散った。
 今日私は、初めて恋を知った。



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