Memories of Tear  第一章(2)

「ねえ、今日はコウ君の当番の日じゃなかったかしら?」
 夕食後、自室で漫画を読みながら適当に退屈を潰しているところ、母さんからの呼びかけがあった。
けだるさで一瞬返事をするのが遅れると、すぐに二度目の呼びかけが来た。
 「9時には閉まっちゃうから、今すぐ行った方がいいわよ?」
 間髪いれずに催促をされたため、俺は漫画を閉じて「はーい」と生返事をしながら立ち上がる。もう高二にもなっているのだが、母さんの過干渉は昔から変わっていない。
 時刻はもう8時の30分を過ぎたところだ。こんな時間であるにもかかわらず、俺は今からとある用事のため出かけようとしている。と言っても大した用事でもないので、部屋着のままに靴をはき、出かけて言った。
 「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
 外に出ると少しの肌寒さを感じた。6月のもう後半だが、さすがにこの時間ではもう外は暗くて冷える。加えてここはド田舎。まともな街灯もほとんどない。地元の商店街の明りが多少辺りを照らしている。
 行先はとある神社で、そこにはこの村だけの神様が祭られている。別に名のある神様ではないが、この村に暮らしている 住民は誰もが知っていて、この村の象徴としてあがめている。
 今こうして神社に向かっているのも、当然その神様のためだ。
 10分ほど歩くと、目的の神社に辿り着いた。
 その神社の拝殿の表には賽銭箱が置いてあり、中には台とその上に小さな桶が置いてある。全体的な敷地面積はそう大きくなく、そこからも規模の小ささがうかがえる。だが、拝殿の中のつくりはしっかりしていて、参拝客へのもてなしを感じさせている。
 用事があるのはその拝殿の中だ。普通の神社は拝殿の扉を開けっ放しにするなど不用心なまねはしないだろうが、この神社は少々特殊なため、深夜以外常に扉があいている。今日用事があるのはその中だ。
 俺はためらいもせずに中には入っていく。目的は当然参拝だ。ただ、この神社での参拝は通常のそれと少し違う。
 中に入ると、置いてある台の前で正座をして目をつむる。そして、この場所で祭られている神に思いをはせる。
 ――すると、それはすぐに来た。
 何かが胸の奥底から込み上げてくる。強く、感情的な何かが。
 初めて人を好きになった時の気持ち、あるいはだれかにすごくほめられた時、はたまた誰かを本気で憎んだ時の気持ち。
 そんな感情が押し寄せてくる。
 ――気付かないうちに、涙を一滴、桶の中に、たらしていた。――

 村人は毎日この神社に来て参拝し、涙を流し神様に献上する。そのような行為が伝統として、ルールとしてこの村にはある。
 ありがたいことに、参拝時に手を合わせれば自然と涙が出るという不思議現象もある。
 そのおかげか、参拝する人を当番制で決めて、はるか昔から今日までその伝統は続いているらしい。
 ただ、俺は涙を流すときに来るこの感情があまり得意ではない。胸を締め付けるような痛みがいやなのだが、他の人に聞くとあんがい気にならないらしい。
 目的を終え、涙をぬぐいながら立ち上がったが、なんとなくもう一度拝む体勢をとってみた。それこそ、普通の神社のように鈴を鳴らしてから、柏手を打ってお参りをする。
 先ほどは何も考えなかったが、今回は願い事をしてみた。
  ……あと一歩、踏み出せるようにと……
 賽銭はさっきの涙だ。この程度の願い、それで十分だろう。
 「何をお祈りしていたの?」
 祈りを終え、頭を上げたところ、後ろから誰かの声が聞こえてきた。
 振り返ってみてみると、すぐ後ろに少女――神坂詩織――がひっそりと立っていた。
 神坂はこの神社の神主の娘で、俺と同学年だ。同い年と言っても神社に行く時たまに話をする程度であまり親しくはしていなかった。と言うか、彼女の立場上あまり気軽に話は出来なかった印象がある。
 彼女は昔からどこか神秘的で、近寄りがたい雰囲気を持っていたせいもあり、周りの同年代くらいの人と親しくしていなかった。
 今ここに来たのはおそらく拝殿を閉めるためだろう。
 「ん、ちょっとな……」
 さすがに正直に答える訳にもいかないので、適当に濁しながら拝殿を出て、神坂が扉を閉めるのを待つ。
 「めずらしいね、清水君がお祈りしているのは」
 なぜ神坂はこんな質問をしたのだろうか。昔からこいつは良くわからない。
 「ちょっとした心境の変化だよ。大した意味はないさ」
 神坂が施錠をしたのを確認して、俺は立ち去ろうとしたが、神坂はそれを引きとめた。
 「ねえ、清水君はお祈りする時どんな感じなの?」
 突然の意外な質問に少々面食らってしまう。
 「あ、ここでのお祈りっていうのは儀式の時のことね」
 神坂の言う儀式とは、涙を流すときのことを指すのだろう。
 彼女の質問の意図が測れずにいたが、素直に答えることにする。
 「うーんと、俺自身もよくはわかってないけど、胸を締め付けられる感じかな?」
 答えてはみたが、相手が眉をひそめているので、あわてて説明を加えてみる。
 「いや、他の人に言ってもよくわからないって言われるんだよね…」
 そんなことを言ってみたが、彼女の表情は変わらない。それどころか、さっきよりも悲しげな表情になっている。よくわからない人、なんて思われてなければいいけれど。
 「そう……これからもちゃんと信仰心を忘れずにいてね」
 神坂は無理やり話をまとめるようにそう言った。
 ただ、その目は俺のことを見ていないように感じられた。
 「大丈夫だよ。ずっと小さいころからお世話になってきたからな」
 「そう……」
 言うべき言葉が見つからずしばらく静寂が続く。
 「それじゃあ、私はそろそろ家に戻るわね」
 無言の空間に耐えきれなかったのか、神坂はそう言って家に帰って行った。
 「え、ああ。それじゃあ」
 気まずい空気になってお別れというのも、少し後味が悪い。神坂は小さいころからの知り合いだけに余計にそうだった。
 俺は神坂が笑っているところを見たことがない。あいつはいつも無表情でさびしそうな顔をしている。
 ただ同じ者同士親近感を感じているだけなのかもしれない。それでも、今回話をして、確かに神坂に興味をもった。
 今まではこんな風に感じたことはなかったのに。
 「心境の変化、か……」
 さっき神坂に言った言葉をもう一度つぶやいてみる。
 実際にそうなのかもしれない。特に何という出来事もなかったが、確かに自分の中の何かが変わった。
 夜道を歩く。時刻はもう9時を過ぎているだろう。
 半月が高いところから夜道を照らしていた。街灯のない田舎道にとって月の光はとても大きい。
 ただ、今夜はいつもより少しだけ明るい気がした。




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