Memories of Tear  第一章(6)

 翌日は土曜日で、学校もないため遅くまで寝ていた。起きてみれば、時計がちょうど午前の11時を指そうとしているところだった。
 目が覚めて少しした時、今日が好きな漫画の新刊が出る日だったことを思い出す。
 体を起こすことを少し億劫に感じながら、腕に力を込め上体を起こす。
 そして、寝ぼけ眼のまま朝食をとり、適当な普段着に着替え、そのまま家を出た。
寝癖もある程度あった気がするが、どうせ近所のばあちゃんが営む本屋に行くだけである。身だしなみに気を使うだけバカバカしいというものだ。
 外に出てみると、初夏の気持ちの良い陽気だっため、朝のウォーキングがてら、自転車に乗らず歩いて本屋に向かう。
 「あ、こんにちはー」
 すると、近くから元気のいい挨拶が聞こえてきた。
 3軒となりに住んでいる、園原さんの家の娘だった。この村では貴重な子供だが、俺の3つ下で性別も違うこともあり、あまり一緒には遊ばなかった。
 「ああ。おはよう」
 それでも、出会えばこうして挨拶ぐらいかわす。田舎だけあって、地域密着型なのだ。
 「航希さんがこんな朝から出かけるなんて珍しいですね!!」
 「いや、奈央ちゃん。今はもう11時過ぎだよ……まあ、朝は弱い方だけどさ」
 近所に住む年下の女の子からもこんな扱いですか……
 「わざわざ土曜の朝からどうしたんです?」
 奈央ちゃんは今やっていた、玄関の植物への水やりをいったん中断させる。どうやら暇なようで、ときどき玄関先であったときは、こうして長話に突入させようとする。
 「いやあ、安井書店まで行こうかと……」
 内心、また捕まってしまったとげんなりする。
別に嫌いじゃないが、朝くらいは静かにしていたい。
「へええ。あ、安井書店に行くんだったら気をつけてくださいよ?なんか書店のおばあちゃんの入れ歯が取れたとかで、何言ってるか全然わからないですから」
「へ、へええ。入れ歯くらい入れ直せばいいのにね……」
「ですよねー。でもなぜか3日くらい前から入れ歯なしらしいですよ!!あ、そうそう安井さんと言えば、この前安藤さんが森の熊を相手に一騎打ちを挑んだらしくてですね……」
やばい……奈央ちゃんのおしゃべりにいよいよスイッチが入ってきてしまった……
「そこでですね!!安藤さんの裏拳が熊の顔面に炸裂したんです!!たまらず後ろに下がった熊の隙を見逃さずに、さらに連撃!!いやー、すごいですよねー。ところで、航希さんは本屋で何買うんですかー?あんまり航希さんが漫画とか読むイメージないんですけど、読みます……?それとも、もう高2だから参考書とか買っちゃったりするんですか?いやだなあ、わたしももう中二だから、親が勉強しろってうるさくってですねえ……でもこう見えてわたし、ちょっと勉強できるんですよ?結構クラスのみんなからは意外って言われるんですけどね。わたしそんなにバカに見えますかねえ……?」
「ストップ、ストップ、ストーーーーップ!!そろそろおしまいにしよう。ね?俺ちょっと急いでるか……」
放っておけば、後小一時間話し続けそうな勢いの奈央ちゃんを無理やりとめる。
話を途中で遮られたため、少し残念そうな顔をしている。
「そんなに急いでるんですか……?」
「ああ、すごく急いでるんだ。ね、いい子だから行かせてくれない?」
適当になだめるように言い聞かせる。本当はそこまで急いでいないのだが、これ以上勢いに乗せると、後に引けなくなりそうなので、今のうちに全力で止める。
「まあ、そんなに急いでるならいいですけど……」
「あ、ありがとう……」
どうやらなんとかかわせたようで、奈央ちゃんもすでに嫌な顔をしなくなっていた。
 「あんまり急いで、車にひかれないで下さいよー!!」
 「まあ、極力気をつけるよ……」
 歩きがら後ろを見て返事する。最後のセリフは明らかに年上に対して言う言葉じゃないだろう……
本当に年上に対して失礼だ。まったく。
 なんてことを考えながら歩いていると、突然ゴツッという鈍い音がした。
 音だけじゃない。やけに頭が痛い……
 見上げると、そこにはどっしりと電柱が立っていた。
 え、何?俺これにぶつかったの?そろそろこのパターンは飽きたよ。
 「気をつけてくださいね!!」
 後ろからかわいらしい励ましが飛ぶ。そのやさしさが今は逆に痛い。
 また俺の評価が下方修正されたことだろう。このまま進んでいけば、俺が死ぬ前に評価が地を突き破りそうだ。
 「はい、ほんともう勘弁してください……」
 いや、気にしたら負けだ。本屋へ急ごう。本屋のばあちゃんが昼寝を開始する前に…………
 歩くペースをあからさまに上げながら、一刻も早く奈央ちゃんの視界から出ようとする。
 だが、天はどこまでも非情で、本屋まではこのまま一直線だった。かといって用事もないのに曲がったり、走りだすのは恥ずかしい。
 どうするのよ、これ!! なんか最近こんな究極の二択多すぎ……
見える、見えるぞ……
A. 直進する
B. とりあえず視界から消える
C. 「ぶつかったように見えた? 見えたっしょ? 実はあれ、直前でかわしてましたー!! ほんとは当たってないから!! 騙されたっしょ!?」
……………うん。まあ、最後のはないよな……
じゃあ、どうする!!どうすんのよ!?うわあああぁぁぁ…………


 その後紆余曲折を経て、無事本屋に辿りつきました。大変お見苦しいほどに悩んでいたため、カットしました。
 「はあ、やっと着いた……こんな近場に来ただけなのに、なんだよこの疲労感は……」
 お世辞にもきれいとは言えないような店内に入り、お目当ての本を探す。見た目はぼろいが、意外に品数は充実していて、なおかつ立ち読みもできるため、若い世代が利用することが多い。
 だが、今は店内に客は俺一人だった。そのため、遠慮なく立ち読みをして、時間を潰そうとした。
 立ち読みを初めて5分もたたないうちに、何かが俺の立ち読みを引きとめた。
「あんまり立ち読みはしてはいけないと思うのだけど……」
いまどきそんな固いことを言う奴がいたのかと、感心しつつ視線を漫画から声の主に向ける。
見てみると、なんと引きとめた主は、神坂だった。神坂は私服姿で、静かにこちらを見つめていた。
「お、おお。ごめん……」
突然のことで少々うろたえながら、素直に本を棚に戻す。
「えっと、神坂さんは何を買いに来たの?」
よりにもよって、こんなところで神坂に会うとは……心の準備が全くできてないよ。
「今日はちょっと参考書を買いに来ただけ」
そう言って、手に抱えている袋を見せる動作をする。これから察するにもう用事は済んだあとらしい。
だとしたら……
「今日このあと開いてる? この前の約束今日でもいいかな?」
そのセリフは意外にすらすらと出てきた。中島たちとの練習の時はあれほど緊張したのだが、今回はそんな気恥ずかしさを感じることはなかった。
「うん、ありがとう。今日なら大丈夫」
そう言って、少し微笑んで見せた。
それは今まで見せたことのないような表情で、それを俺に見せてくれたことがうれしかった。
どうやら俺はこの短期間でずいぶん神坂に入れ込んでいるようだ。まさか、惚れちゃった?
いやまさか……俺はもうちょっと明るいタイプがいいはずなのだが。
「じゃあ、ちょっと待ってて。これ買ってきちゃうから」
そう言って俺は、レジのおばあちゃんに読んでいた漫画を渡す。
「ふぁい、ほんふぁくふぃびゅうふぇんれす」
…………なんて?
「ふぉんふぁぶふぃじゅうぺんふぇる」
思いだした。そう言えば、このおばあちゃん入れ歯取れてるんだった……
「ふぉんふぁくふぃふぃふぃっふふぇん!!」
「あ、はいすいません!!」
どうやら急かされたいたいだったので、取り合えず絶対に足りるである金額をレジにおいて、事なきを得た。
「じゃ、じゃあ行こうか……」
「うん……」
ずいぶん飛躍したものだ。ついさっき家を出て、ほんの少し前に奈央ちゃんからかわれたのだ。
それが何をどうなって神坂とお茶(お茶はお茶であって、断じてデートではない)をすることになっているのだ。
世の中の真理とは摩訶不思議なものだ。
「本、持つよ……」
「大丈夫、私の買ったものだし……」
「いいよいいいよ、俺が急に誘っちゃったんだから……」
「そ、そう? じゃあ、お願いしようかしら……」
「うん……」
「あ、ありがとう……」
「…………」
「………………」
なんというか、ものすごい"…合戦"が繰り広げられている。
「僕口下手なんだよね……」
「なにおう!! 私の方が口下手よ!!」
「何だと!! 僕の方が3倍は口下手ですー」
「なんですって!? だったら私はあなたの10倍口下手よ!!」
「んな!? だったら僕は100倍!!」
「じゃあ、私は千倍よ!!」
…………などと言わんばかりの状態である。
正直自分から誘っておいてこれはきつい。中島から会話テクニックを習っておくべきだった……
このままでは愛想を尽かされる。男の名誉にかかわる事態だ。
何か気のきいた、場が盛り上がるような場台を提供せねば!!
よし、行くぞ!!
「風に吹かれてあの雲は、いったいどこに向かおうとしてるのだろうか……」
んーと、これ盛り上がる? これで盛り上がれる奴なんていんの??
「南風だから、北の方じゃない?」
まじめな回答ありがとうございます。
「そ、そうだね……」
駄目だ、やっぱり会話が途切れる。もっとなにかいい話題はないのか!?
あんまり女子と会話しないからわかんないよ!!
「今僕たちをなでるこの風は、いったいどこから生まれたんだろうか……」
だからなんでこう感じの質問なんだ。もっと趣味を聞くとかいろいろあっただろ!!なんで無難なのを選ばなかった!!
「それは高気圧でしょうね。風は高気圧から低気圧に空気が移動することによって起こるから……」
またもまじめな回答ありがとうございます。
けど、もう少し話が続けられそうな返答がよかった……
会話を続けようと、ここで俺が「へー、そなんだ。初耳だよー」などと答えれば、ばか丸出しになってしまう……
会話は続くかもしれないけど、それはいやだ。
もとはと言えば、こんな話題を出した俺が悪いのだが……
「あ……」
次の会話内容を探しながら歩いていると、突然神坂が声を漏らした。
先ほどまで前を見ていた目線は、横を向いている。
その目線先を追ってみると、あろうことか先ほど逃げ切ったはずの少女、園原奈央がいた。
 「バ、カな……」
 あまりの出来事に言葉を失う。やっとの思いで逃げ切ったはずなのに、さらに嫌な状況になって再び出会うことになってしまった。
 今は隣に神坂がいるんだ。なにかからかわれたりしないか心配だ。
 「あれ?神坂さんに、航希さんじゃないですか!!数分ぶりですね」
「こ、こんにちは……」
神坂は奈央ちゃんと目が合うと、相手が年下にも関わらず丁寧にお辞儀をして挨拶する。
一見するとただ礼儀正しいだけの行動に見えたが、わずかに違和感を感じた。
「やあ、また会うとは奇遇だね……」
「すいませんね、お楽しみのところお邪魔しちゃって」
すいませんと口では言っているが、表情は明らかに謝っていない。顔がにやにやするのを隠しきれずにいる。
「うん、じゃあ急いでるから……」
一刻も早くこの子のもとから離れたい。適当に話を切り上げて去ることにする。
だが、それを許してはくれなかった。
「待って」
それを拒んだのは意外にも神坂だった。
なにやらもう少し奈央ちゃんと話がしたかったらしい。
「ねえ、ご両親は元気にしてる?」
神坂が聞きたかったことは、そんなことだった。
大人同士の会話なら社交辞令としてよく聞くが、およそ女子高生と女子中学生に会話に出てくる内容ではない。
神坂が奈央ちゃんの両親をよく知っているなら話は別だが……
「えと、普通に元気ですけど……この間も家族3人で旅行してきたばかりですし」
園原家は家族仲がいい。特に奈央ちゃんは一人っ子だから、余計に多く愛情が注がれている。
「そう……ごめんね、今のことはあんまり気にしなくていいから」
ばつが悪そうに神坂は目をそらす。
「ごめんね、待たせて……」
神坂はくるりと踵を返して来た道を引き返そうとする。奈央ちゃんのいない道を選ぶかのように……
そんな神坂を見て、俺は奈央ちゃんと二人で首をかしげる。
神坂は奈央ちゃんのことが苦手なのだろうか。いや、苦手とも違う。どちらかと言えば、引け目を感じているような……
俺の残念な観察眼ではこれ以上の情報は読み取れなかった。




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